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阿漕に30からも女というのなら。

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エゴスプリットし続ける自分も愛し、自我分裂快楽主義者としての自分を確立しよう。揺るぎ無い主義として。斜に構え心に浮かぶウタカタをしばし沈思黙考。音楽で清め文学に溺れる。どれもこれもホントの私。

別れた相手との付き合い方

「胆に銘じて友達に戻る」   松尾スズキ anan NO1427


全然あるわけです。ありなわけです状況として、かつてセックスしたりいろいろしたりした女の人と普通に会って普通にお酒飲んで「じゃあね」って別れて家に帰って風呂入ったらもう違うこと考えてて、なんのためにカブトムシの皮膚は栗に似てるんだろうなんて考えてて、で、明日になったら心になんのフックもなく今の恋人と会ってゲラゲラ笑って、で、セックスしてる、などというお話しは。
別れても会える人。それを友達づきあいと呼ぶのなら呼んでもいいし。
俺もかつてはメチャメチャだったんで、なんていうんだろう、本来友達であるべき人や仕事仲間であろうと、気がつけば一線を超えてしまってみたり、終わってキワキワの瞬間に、軽いジャブのような「鬱」がはいったりするわけですが、それほどに深いダメージもなく、でまた、一度身体を合わせちゃうと、次会ったときに「合わせない」ということが意味をですね、余計な意味をですね、持ったりするわけで、そしてまた「やってしまう」と。そういうのが4、5回続いた状態を付き合ってる、とカウントせず、セックスフレンド、と呼んだりする方法もあるんだろうけど、私はほれ、田舎の人間だから、そいうい横文字のスマートな関係が、人付き合いの中にボキャブラリーとして、ない。だからして、ああ、これ、つきあってるんだろうな、みたいな、なんというか恋愛感情を宙に浮かせて遊ばせてるみたいな、ありていに言えば「この恋にガチッとした責任はとれんぞ」というモアアアっとした状態から、それから、普通にセックスするきっかけを見失って、だらだらとグラデーションを描きながら元の関係に戻ってたりするんです、お互い「なかったことにしよう」という暗黙の了解ですね。
でも、ふっとした瞬間に、あれっ、一時、俺らセックスしてたよね、とかフラッシュバックするからことは一筋縄ではいかない。
一生にそんな何人もできるはずないじゃん?普通に考えたら。それが、なんでまたなんにもなかったようにひくーい温度で話しとかできるんだろうとか思ったりするのだが、そういう「異常な事態」を通過しておきながら、「普通」に戻らざるをえなかった、そのぬるい痛みっていうんだろうか、そういう苦しさを感じてみたり。
だから、やっぱり、かつて身体を重ねた女は俺にとって、他に呼びようがないから「友達」と呼んでたけど、けっこう特殊な存在ではあったわけだ。ゆるーく別れた女を、なんとなく「放し飼い」みたいな存在感でもって俺の人間模様の中を泳がせていたのかと。狡い。そのシステムは、なんだか狡い。狡い脳だ。
だもんで、セックスしなくなった女とはきっぱり会わなければ、なるほど潔い。というのはわかっている。
しかし、人間関係というのはそうそう数学的に割り切れるもんじゃない。かつて「やった」もの同士が味わえる言葉以上のものを醸す香ばしい会話。それも捨てたもんじゃない。
でも、かつて感じたあの「高揚」は、絶対に絶対に戻ってこない。胆に銘じて、友達に戻る。
死ぬとわかってて、俺たちは生きている。そんなハードボイルドな風味に、別れた女友達と会うというその、会ってしまう苦さは、どことなくような気がする。
会うが二人は、もう戻れない。
by itsme.itsumi | 2005-04-17 22:26

by itsme.itsumi